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東京家庭裁判所 昭和58年(家)2956号 審判 1985年9月27日

申立人

甲野花子

申立人代理人

四位直毅

相手方

甲野太郎

被相続人

甲野松夫

(昭和五三年四月三日死亡)

上記事件について、当裁判所は、次のとおり審判する。(参与員人見康子関与)

主文

(一)  申立人と相手方とは、別紙遺産目録記載の土地及び建物について、それぞれ二分の一の割合による共有持分権を取得する。

(二)  相手方は、申立人に対し、上記土地及び建物について、昭和五七年一一月四日受付第二四〇〇五号の相続による所有権移転登記を、本件遺産分割を原因とする上記(一)の趣旨の共有とする所有権移転登記に更正手続をせよ。

(三)  申立人と相手方とが上記(一)により共有取得した土地及び建物は、いずれも申立人の生存中(ただし、この審判確定の日から三年間を限度とする。)、分割することができないものとする。

理由

一申立ての趣旨

被相続人甲野松夫の遺産である別紙遺産目録記載の土地及び建物について、法律上適正な分割を求める。

二申立ての実情

本件被相続人の甲野松夫は、昭和五三年四月三日死亡し、相続が開始したところ、相続人は申立人(被相続人の妻)と相手方(同長男)の二人だけである。

ところで、申立人は遺産の形成維持について別紙「申立人の寄与」記載のような特別の寄与をしてきたから、この点を考慮した申立人の具体的相続分は三分の二(したがつて相手方は三分の一)とされるべきである。

三当裁判所の判断

以下の事実関係は、すべて本件記録及び頭書関連事件(本件申立てに先立ち、本件の相手方が申立人となつて提起した遺産分割調停事件が審判に移行したもの。昭和六〇年三月一六日申立ての取下げにより終了)の記録に編綴された書類並びに同関連事件における申立人、相手方及び証人甲野竹夫の各審問の結果に基づいて検討する。

1  相続人及びその法定相続分

(1)  申立人 三分の一(妻)

(2)  相手方 三分の二(長男)

2  分割対象遺産

別紙遺産目録記載の土地及び建物(以下、本件土地建物という。)

3  本件の具体的相続分

申立人は、別紙「申立人の寄与」のように、本件の形成維持に特別の寄与をしたと主張し、相手方はこれを争うので検討する。

(一)  本件建物は、本件土地上に昭和八年二月建築された木造平家建の建物であるところ、もと申立外佐伯一雄の先代である佐伯元雄が所有していたが、昭和四七年一二月相続により申立外佐伯一雄に承継された。本件土地は、本件建物の敷地であるところ、もと国有地であつたが、昭和四四年一二月二日佐伯一雄が払下げによりその所有権を所得していた。

本件被相続人及び申立人の夫婦は、昭和一三年以来佐伯一雄の先代から本件建物を賃借して居住していたところ、被相続人は昭和五〇年一二月二五日佐伯一雄から借家である本件建物及びその敷地である本件土地を代金計一五〇〇万円で買い受けた。その買受代金は、それまで相続人が故郷に保有していた相続不動産(茨城県東茨城郡○○町××所在の宅地一四八四平方メートル)を同月一八日に被相続人の本家に当たる親族甲野梅夫に売り渡して得た代金一八五〇万円の中からまかなつた。

したがつて、この限りでは、申立人は本件土地建物(遺産)の形成に寄与するところはないように見える。

(二)  しかし、上記親族に売却した○○町の土地の保有、本件土地建物の取得及びその維持に関して、申立人は次のように努力するところがあつた。

(1) 被相続人松夫は、申立人との結婚当時から教員であり、昭和一九年T小学校を退職するまで教員として奉職したが、給与が必ずしも十分でなかつたため、かねてから妻の申立人は塾を開くなどの内職をして生活費の足しにした。

戦後は、被相続人は、郷里(茨城県東茨城郡○○町)に多少有していた農地をいわゆる農地開放で手離してからは、気力を失つてしまい、気位が高かつたこともあつて、以後死亡するまで職に就くことなく、毎日住居である本件建物にあつて無為に過していた。他方、申立人は、一家(相手方の太郎を含む三人家族)の生活を支えるため、昭和三五年頃までかつぎ屋のような仕事や病院を廻つて衣地を看護婦に売る等の行商の仕事をして働き、日銭を稼いだ。これらの仕事に被相続人や相手方が手伝つたことはない。

しかるに、被相続人は、昭和三五年頃申立人が諫めたにもかかわらず株に手を出して失敗し、夫婦は僅かな貯えも失つた。

(2) 申立人は、昭和三五年頃相手方から生後一才半位であつたその長男の竹夫(申立人にとつては孫)を預けられたので、その育児もしなければならなかつた。それなのに、相手方からは昭和四五年からしばらくの間月額一万円の養育費の送金を受けただけであつたので、申立人はさらに、長きに渡つて授産場通いや掃除婦のパートをして生活費を稼がなければならなかつた。また、申立人がその実家から貰つていた書画骨董の類を売つて生活費の足しにしたこともあつた。

(3) 被相続人は、本件土地、建物を買い受けた頃から脳軟化症となり、一たん入院したが、本人が入院をいやがつたため、自宅で療養させたが、その死亡に至るまで食事のほか、大小便の始末、入浴等の世話はすべて申立人が行つた。被相続人は次第に精神力が低下し、眼を離すと外出してしまうので、看病は大変であつた。しかし、申立人は、その間、本件土地建物を処分して、家政婦を雇つたりもつと楽な生活をしようとしたりしたことはなかつた。

(4) 被相続人松夫は、苦しい生活の中で、しばしば前記の○○町に保有している土地を手離そうと言つていた。しかし、申立人は、かなり以前からなんとかして本件土地建物を所有者から買受けて夫婦の資産として取得したいと考え、その際の資金とするため、前記の○○町の土地を残しておこうといつて松夫の主張を押えただ自分の稼働と生活保護のみで一家の生活を支えた。

昭和五〇年に至つて、前記佐伯一雄の側との間で同人から本件土地建物を買受ける交渉が始まつたが、申立人は病気の被相続人に代つて粘り強く交渉し、できるだけ有利な買受条件(代金額一五〇〇万円)でこれを買受ける契約を締結した。また、申立人は、被相続人に代り何度か前記甲野梅夫と直接交渉し、前記○○町の土地をできるだけ有利な条件(代金額一八五〇万円)でこれを売り渡す契約を締結した。そのため、不動産譲渡税等を差引いても本件土地建物の買受代金を支払うことができた。

(三)  申立人の以上の所為は、被相続人が本件土地、建物を取得し、かつ相続開始に至るまでこれを維持するにつき寄与するところが大きかつたと認められる。そして、その寄与の度合いは遺産たる本件土地建物の価値の全体の四分の一の価値に相当すると認められる。しかし、以上の申立ての寄与を評価しても、前記のように本件土地建物の直接の買入れ源資は、被相続人松夫が元来保有していた財産であつたのであるから、この割合以上に評価することはできない。

この認定判断を左右するに足りる資料はない。

(四)  遺産の価値のうち申立人の寄与分相当部分以外の部分(全体の四分の三)は、申立人(三分の一)と相手方(三分の二)とが本件相続開始時の民法の規定による法定相続分に従つて配分されるべきである。そうすると、本件において申立人の寄与分をも組み入れて配分しようとするときの具体的配分割合は申立人が二分の一であり、相手方も二分の一ということになる。

よつて、本件遺産(土地・建物)は、この比率(二分の一ずつ)に従つて、申立人と相手方とに分割されるべきことになる。

4  分割の方法

(一)  ところで、申立人は、基本的に息子である相手方との間で本件土地、建物について現物分割されることを望んではいるが、現在のところ現物分割を実行するに足りる資金的余裕はなく、また、記録中のKの診断書によれば、申立人は現在脳の出血兼梗塞により入院療養中であり、経過は良好であるものの、現物分割について適当な案を検討し、これを遂行することができる程健康は回復しておらず、それにはなお2、3年の療養が必要であることが認められる。

他方、本件遺産分割事件の経緯からして相手方がした前記関連事件の申立てに誘発されて申立てられたものであることが認められる。また、この関連事件自体は相手方により取り下げられてはいるが、本件土地建物の登記簿謄本によれば、本件土地建物は相手方の申請により昭和五七年一一月四日受付第二四〇〇四号、第二四〇〇五号をもつて、相続を原因として申立人が三分の一、相手方が三分の二に所有権移転登記ずみであるところ、この相手方の登記簿上の持分権(三分の二)については、本件の審判事件を本案として昭和五九年七月五日処分禁止の保全処分がなされている(昭和五八年(家ロ)第五〇二二号)が、遺産分割そのものがなされないまま、手続を終了させ、この保全処分が取消されることとなるのは相当ではない。その他、本件についての諸般の経過及び申立人(母)の希望からすると、遺産分割自体を保留するのは妥当ではなく、本件土地建物について分割割合を示した上、相手方(子)との間で一定の方法により遺産分割自体はこれを了しておくのが相当である。

(二)  そうすると、本件においては、前記の具体的相続割合である各二分の一の割合をもつて申立人及び相手方に本件土地建物を共有取得させるにとどめることとし、かつ、母親である申立人が存命中は民法の規定による共有物の分割を禁止することとする(双方に対しその期間内の分割禁止の制約付きの共有持分権を取得させる。)のが、本件の遺産分割方法として最も妥当であると考えられる。もつとも、共有物につき分割することができない制約があまり長く継続するのは相当でないから、その期間は三年間を限度とすることとする。

5  附随の措置

前記のように本件土地、建物についてはすでに相続を原因として被相続人から申立人が三分の一、相手方に三分の二に所有権移転登記がなされているが、この審判(遺産分割)により形成された権利関係(申立人、相手方各二分の一)を改めて登記簿上に符合させるため、所要の更正登記手続をも命ずるものとする。

四結び

以上の次第で、遺産たる土地建物については、現物分割をせず、当事者双方に各二分の一ずつ民法上の共有持分権を取得させることとし、ただし、本審判確定の日から3年間その共有物分割を行わせないこととし、所要の所有権取得に関する更正登記手続も命ずることとする。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官内田恒久)

(別 紙)

申立人の寄与

申立人は、本件相続財産形成について、次の通り特別寄与した者である。

(1) 申立人と被相続人は昭和三年五月結婚し、昭和五年一月六日相手方である長男太郎が誕生し、昭和六年一二月二九日婚姻届を提出した。

(2) 被相続人は、結婚当時は○○市外A小学校の教員であり、昭和八年からは小学校に昭和一一年頃から○○区T小学校に勤務し、昭和一九年頃師範二部しか出ていなかつたことから格下げになつたことを理由にやめるまで、そこに教員として務めていた。その間においても、被相続人の給料が安かつたので、申立人が髪にかけるネットの内職をして生活のたしにしていた。大森に引越してからはおさらいの家と名づけて中学を受けるじゆくをして生活費をかせぎ、昭和一七年今の○○区△△町へ引越すまでつづけた。

(3) 上記小学校退職後は、被相続人は、軍需工場に勤務したが、終戦で工場は閉鎖となり失業した。また、同人が父から貰つた農地は、農地開放で不在地主ということで全部失つてしまつた。

(4) 被相続人は、その後はすつかりやる気を失い、昭和五三年四月三日死亡するまで定職につかず、毎日ぶらぶらしているだけで仕事をせず、妻である申立人の働きによる収入で生活を続けてきたものである。

(5) 申立人は、戦後夫と子供(相手方太郎)の生活をささえるため衣地を大病院の看護婦に売る仕事をはじめ、それ以後昭和三五年太郎夫妻が生れて一年五カ月の竹夫を申立人にあずけに来るまで続けた。この仕事で貯えをもつに至つた。

(6) 相手方は東大に入つたが、卒業が遅れ、昭和三三年ようやく卒業し、D<編注・放送会社>に入社し、釧路に赴任した。その後、その長男竹夫が生まれ一才半になつたとき、釧路は寒くて子供を育てられないと言つて申立人の下に竹夫を預けた。以来、申立人は孫の竹夫を手許において養い今日に至つている。

(7) 申立人は、孫である竹夫を預つてからは、育児のため、仕事もやめなければならなかつた。被相続人が申立人の貯えた金で株の融資をしたため失敗し、昭和四三年からは申立人がパートで働きに出て生活をささえる日々となつた。

(8) そこで、相手方に援助を求めたところ、相手方はその気がまつたくなく、昭和四五年に家庭裁判所に調停を申し出てようやく毎月一万円を援助するようになつた。しかし、それだけでは生活できないため、申立人は朝六時から一二時までと夕方五時半から八時半までと二度のパート勤めをして生活をささえた。

しかし、体をこわしたため夕方からのパートは出来なくなり、実家の父から貰つておいた書画骨董を売つてどうにか生活をしてきたが昭和四九年頃には相手方が突然Dを退職し、月一万円の仕送りも途絶え、翌五〇年に一、二度地方から一万円が送られてきただけで、昭和五六年に至るまで行方不明の状態になつていた。そこで申立人のパートだけではどうにもならず、相手方が行方不明になつたあと生活保護による申立人と被相続人の生活の援助を求めたが孫の竹夫は生活保護を受けるのをいやがつたためその分は申立人のパートによる収入でまかなつた。そして、昭和五五年竹夫が大学を中退し、S区役所に就職すると同時に申立人の生活保護も辞退し、現在七七才ながら朝六時から、一二時の間にF研究所ロッジの清掃をする仕事にパートとして勤め、月八万円の収入を得ている。

(9) 本件唯一の相続財産である別紙遺産目録記述の不動産は次の経緯で取得した。

即ち昭和一七年から本件建物を賃借してきたが、昭和五〇年一二月二五日に金一五〇〇万円で土地及び建物を被相続人が買取つたものである。その資金は、被相続人が戦前に亡父から貰つた茨城県東茨城郡○○町××八二一―一八二二の宅地一四八二二九m2を、昭和五〇年一二月一八日親戚の甲野梅夫に代金一八五〇万円で売却した金員をもつて充当した。前述した如く被相続人が売却した茨城の土地をそれまで維持できたのは、申立人の働きによるものである。被相続人は戦後何等就労せず、収入はなかつたし、相手方も昭和三三年家を出てから一度も同居せず昭和四五年から四九年頃までに一万円宛長男竹夫の養育費を送つただけで、何等金銭的援助をしていない。

(10) よつて、別紙物件目録記載の不動産を被相続人が取得し、維持できたのは申立人の協力によるものであつて、相手方は何等協力していない。

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